そんなしっかりものの母でしたが、私が小学校5、6年の頃からか心臓を患い病院の先生に無理をすると後3年もつかどうかというような事を言われたとか。
母が友人に話しているのを聞き、子供心に、一生懸命頑張れば母が生きていてくれるに違いないと自分自身に言い聞かせた事を覚えています。
私の高校2年の期末試験が終わった翌朝、母は帰らぬ人となっていました。前日まで一生懸命働いていた母でした。
 そして母の通夜で物心ついて初めて父なる人と会いました。
それまで父の存在を意識せずに育てられてきたせいか、親しみも湧かないかわり、憎しみも感じませんでした。

院長15歳
-院長15歳 人形町にて-
 母が逝去し16年の歳月が流れ、その間時折の父からの手紙のみで会うことはありませんでした。
その父が突然、蔵前の診療所に生まれてまもない私の長女の為におみやげをいっぱい持って現れ、父と昼食を共にしました。
それから3日して心臓発作による父の急逝の知らせを受けたでした。父は無意識の内に、自分の死を予感していたのでしょう。

 私は毎朝仏壇に燈明をあげ手を合わせているのですが、はじめの内は母の位牌は中央に祭り、父の位牌は端の方に祭っていたのですが、いつの頃から、そうだ父には天より与えられた父の役割があったのではないかと思うようになり、その時以来、両親の位牌を仲良く中央に並べるように致しました。
長女誕生(3ヶ月)
-長女 誕生(3ヶ月)-

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